ちりてこそ

読書記録のまとめ。

一筋縄ではいかない人間になろう 『複雑化の教育論(内田樹、2022)』

成熟とは複雑化すること

成熟することとは何なのか?日々接する生徒を成熟させよう、と奮闘しているがその肝心の「成熟すること」の定義を私自身が定めていなかったことに衝撃を受けた。ここで著者の言う複雑化は違う言葉で述べれば多層化・メタ認知を身につける、などになるのだろうか。しかし、ややもすると大人は子供が「大人にとって都合の良い形に単純化すること」を成熟したと評価してしまう。もちろん、「本心は異なるが損得勘定の上、大人の論理に準じること」が可能になったのは、大人の論理を身につけ、それに従って行動したからと言うこともできる。しかし、それが本当に私たちが掲げている教育の目的なのだろうか?

教師を増やすには?

学校で働いている教員たちが上機嫌でいること。教員を志す人間は「適性」に応じて志すのであって、そのアンテナがない人間まで巻き込もうとしても具合がよろしくない。教えることにアンテナが立っている人たちに、「自分も一緒に働きたいな」と思えるような環境にするのが一番。この点は大学とはいえそれなりに長い時間教育の現場に携わっていたから言えることなのかな、と思います。

部活は社会的流動性を高める装置であった p.93

文化的資本の再分配をするための装置として部活は有用という主張には同意します。今問題になっているのは、部活という存在そのものが問題なのではなく、その運用方法にあると著者は言います。人を成長させるには多様な刺激が必要なんでしょう。しかし課題も多く、その一つには部活が進路や進学のために行われている、倒錯した状態にあると言います。特に私に刺さった内容として、「部活を通して忍耐を覚えた」と言うありきたりなフレーズの歪さ。現実、私もこのようなことを高校の部活を通して得たこととして就職面接などの際に堂々と述べていたことがありました。「厳しいこと、つまらないこと、理不尽なことに耐えた私を評価してください。」と。

イエスマンシップを測るためのブルシット・ジョブ

私はこの著者の言う「イエスマンシップ」と言う概念を頻繁に引用している。主に使用する場面としては、「スポーツマンシップ」との対比だ。上意下達で効率化された組織、つまり統治コストが低いガバナンスを実現するにはこの「イエスマンシップ」こそが大事なのである。私が嫌いな体育会系組織はまさにこれ。嗚呼、ブルシット。

純化するとは退化すること p.160

合意形成するためには技術と器量が要ります。民主制というのは主権者を成熟させるための制度なんです。(p.162)

そして、

複雑なシステムの方が複雑な現実に対処できる。(p.165)

と複雑化することの必要性を著者は説いています。また、印象に残っている内容として、他者に理解してもらうには、上機嫌でいることこそが大事であるよ、と。これは直観的に良く分かるのですが、なかなか実行できないことでもあります。そこまで不機嫌な人間ではないと自分では思っていますが、まだまだ周囲を「モノリス」のようにしてしまう時はあるなぁ、と反省するところです。

今回の記事は私の読書メモをそのまま掲載しているので分かりづらいことこの上ないのですが、教育などに携わる方には勇気づけられる本なので、是非原著にあたってみてください。内田先生で言えば、「街場の教育論」もやはり教育に関わる人への応援メッセージになっています。