ちりてこそ

読書記録のまとめ。

cotenラジオ簡易バージョン『世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考(深井龍之介、2022)』

この本の評価は、著者の深井さんがパーソナリティを務めるpodcast番組(cotenラジオ)を聴いているか否かによって左右される気がします。なるべく平易に、幅の広い読者層に届けようと書かれている本書ですが、この本だけを読んで執筆したcotenの方々の意図を汲み取ることはかなり難易度が高いのではないかと感じました(著者は深井さんになっているが、ラジオ番組内ではcotenのプロジェクトとして執筆したことを明言をしている)。そのため、本書のテーマとなっている「メタ認知」について著者がどう考えているかについてはcotenラジオを聴かないと、ピンとこない点もあるように感じます。

生きてるだけで丸儲け

と、こう書いてしまうとまるで本書がラジオへの誘導を図る作りになっているような印象になってしまいますが、そうではなくて、一般的には歴史上の偉人とされている人物の意外な一面や失敗を取り上げて、「人間って偉人だったとしてもどうしようもない生き物なんだから、とりあえず頑張って生きようぜ」という明石家さんま的エールが本書の底にずっと流れています。常識(チンギス・カン)、他人からの評判(キリスト・孔子)、劣等感(ガンディー)、社会的・経済的成功(カーネル・サンダース)、諦観(アン・サリヴァン)、出世(武則天)といった項目に対して偉人たちがどのように苦闘したのか、そして現代の我々のものの見方があくまでも単眼的であるかを示すことで、「今悩んでる内容の実態なんて一面的なんだから、頑張ってやれることやろうぜ」というメッセージを伝えています。

歴史から学ぶということ

私は昔から歴史の授業が好きでした。専門は違いますし、教育実習以上の経験はありませんが、中高の社会科の教員免許なんかも持っています。ただ、「歴史から学ぶ」ということの意味や、ひいては人文学の価値というものを改めて教えてくれる内容なので、まだラジオ番組を聴取したことがない方は是非この本をきっかけとして聴いて欲しいと思ってます。私は初期の段階からずっと聴いており全エピソード聴いたのですが、今から全部聴き返すのはなかなかシンドイので面白そうな人物を選んで聴いてみると良いと思います。

cotenラジオ youtubeのリンク https://www.youtube.com/c/cotenradio

ガッキーの第一印象も収録 『いのちの車窓から(星野源、2017)』

脱力日常系エッセイ

TBSラジオ「Session」に著者が出演され、その際にこの著書の文庫版が出版されることを聞き、購入した一冊です。この本で二冊目のエッセイ集となっていますが、私はこのエッセイが初でした。今度一作目も読んでみます。
不思議な雰囲気のエッセイです。文体も内容も、気取った雰囲気を感じさせずに著者の日常を淡々と紹介しています。もちろん俳優としても歌手・音楽家としても多忙な日々を過ごしている著者なので、エンターテイメント業に携わる著者ならではの体験が多く綴られています。
ただ、どこか肩の力が抜けた文体のせいか、まるで友達の世間話のようにすんなりと入ってくるのだから不思議です。以下印象に残ったエピソードを簡単に紹介。

電波とクリスマス

著者の思春期から現在までの歩み、横浜アリーナでのライブを狭く感じることが出来た感慨と、そしてタワシを連れたサンタさんの話。

友人

本人としてSNSはやっていないが、過去に全くの一般の別人としてTwitterをやっていたことがあるという、人間臭い話。実はTwitter上のあの人は星野源だったのかも?と考えたら少し楽しくなります。

メタルギアの夜

星野源、縛りプレイが好きなんだなー。

大泉洋

大泉洋と著者との掛け合いは是非傍らで聞いてみたいと思わせる、そんな関係性が垣間見えるエピソード。ちなみに、大泉洋さんのエッセイも面白いです。まだ未読の方はぜひ。

一筋縄ではいかない人間になろう 『複雑化の教育論(内田樹、2022)』

成熟とは複雑化すること

成熟することとは何なのか?日々接する生徒を成熟させよう、と奮闘しているがその肝心の「成熟すること」の定義を私自身が定めていなかったことに衝撃を受けた。ここで著者の言う複雑化は違う言葉で述べれば多層化・メタ認知を身につける、などになるのだろうか。しかし、ややもすると大人は子供が「大人にとって都合の良い形に単純化すること」を成熟したと評価してしまう。もちろん、「本心は異なるが損得勘定の上、大人の論理に準じること」が可能になったのは、大人の論理を身につけ、それに従って行動したからと言うこともできる。しかし、それが本当に私たちが掲げている教育の目的なのだろうか?

教師を増やすには?

学校で働いている教員たちが上機嫌でいること。教員を志す人間は「適性」に応じて志すのであって、そのアンテナがない人間まで巻き込もうとしても具合がよろしくない。教えることにアンテナが立っている人たちに、「自分も一緒に働きたいな」と思えるような環境にするのが一番。この点は大学とはいえそれなりに長い時間教育の現場に携わっていたから言えることなのかな、と思います。

部活は社会的流動性を高める装置であった p.93

文化的資本の再分配をするための装置として部活は有用という主張には同意します。今問題になっているのは、部活という存在そのものが問題なのではなく、その運用方法にあると著者は言います。人を成長させるには多様な刺激が必要なんでしょう。しかし課題も多く、その一つには部活が進路や進学のために行われている、倒錯した状態にあると言います。特に私に刺さった内容として、「部活を通して忍耐を覚えた」と言うありきたりなフレーズの歪さ。現実、私もこのようなことを高校の部活を通して得たこととして就職面接などの際に堂々と述べていたことがありました。「厳しいこと、つまらないこと、理不尽なことに耐えた私を評価してください。」と。

イエスマンシップを測るためのブルシット・ジョブ

私はこの著者の言う「イエスマンシップ」と言う概念を頻繁に引用している。主に使用する場面としては、「スポーツマンシップ」との対比だ。上意下達で効率化された組織、つまり統治コストが低いガバナンスを実現するにはこの「イエスマンシップ」こそが大事なのである。私が嫌いな体育会系組織はまさにこれ。嗚呼、ブルシット。

純化するとは退化すること p.160

合意形成するためには技術と器量が要ります。民主制というのは主権者を成熟させるための制度なんです。(p.162)

そして、

複雑なシステムの方が複雑な現実に対処できる。(p.165)

と複雑化することの必要性を著者は説いています。また、印象に残っている内容として、他者に理解してもらうには、上機嫌でいることこそが大事であるよ、と。これは直観的に良く分かるのですが、なかなか実行できないことでもあります。そこまで不機嫌な人間ではないと自分では思っていますが、まだまだ周囲を「モノリス」のようにしてしまう時はあるなぁ、と反省するところです。

今回の記事は私の読書メモをそのまま掲載しているので分かりづらいことこの上ないのですが、教育などに携わる方には勇気づけられる本なので、是非原著にあたってみてください。内田先生で言えば、「街場の教育論」もやはり教育に関わる人への応援メッセージになっています。

ドーパミンに翻弄されるな! 『スマホ脳(アンデシュ・ハンセン、2020)』

タイトルで敬遠してる人は読んでみると良いかも

個人的にはタイトルで損してると思う。もっと堅い、カッコいいタイトルでも良かったと思うのだが、ベストセラーになってるという事はこのぐらいハードルを下げた表現の方が良いのかな。私はこのタイトルを似非科学っぽく感じられたので、売れ出した当初は敬遠してしまいましたが、タイトルで判断せずに素直に読んでおけば良かったかな、と思えるような内容でした。○○脳という俗っぽいタイトルほど内容は俗っぽくなく、ざっくり言えばスマートフォンSNSが人に対してどのような影響を及ぼすのかについての論文や研究を紹介した上で、著者が現代の情報テクノロジーに対して警鐘を鳴らしてく、という内容です。

スマホは私たちの最新のドラッグである」(p.67)

以前読んだ「デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する」で得た知見ですが、スマートフォンのゲームアプリやソーシャル・メディアを作っている企業には現在の世界最高のエリートたちが就職しています。そのめっちゃ優秀な人たちが真剣に注意力を奪うためにはどうすれば良いのかを考えているので、何も考えないで使ってると知らず知らずのうちにそれらの仕組みに絡め取られてしまうぞ、と注意を促します。著者の言葉を借りれば、

デジタルのメリーゴーラウンドにグルグル回されてしまうのは簡単だ。

これは言い得て妙で、調べたいものがあって端末を手に取ったはずなのに、気付いたらyoutubeで関係のない動画を観ていた、という現象には多くの人が経験があるはずです。私なんて毎日そんな有様で、これもしっかりとビッグ・テックの拵えたメリーゴーラウンドではしゃいでいたと思うと、我ながらチョロいヤツだなと反省します。

「ナルシズムという伝染病」(p.153)

さまざまなコミュニケーションがソーシャル・メディアを通して行われることによって「心の理論」の発達が不十分になり、「共感的配慮という、辛い状況の人に共感できる能力」と、「対人関係における感受性」が低下していることも紹介していますが、こちらは個人的に半信半疑です。論旨は分かるし、心情的にも同意したいところはあるのですが、「最近の若い奴は…」的な空気も感じられる。その辺著者は正直で、証拠はないけど心配だ、という物言いをしています。

運動しろや

本書はあくまでも警鐘を鳴らす、というのが主題にある本です。そのため、何か抜本的な解決策とかは提示されません。ですが、著者なりの解決策が、「毎日少しで良いから走れ(運動しろ)」です。これはちょっと面白かった。大人ならいざ知らず、スマホ依存の中高生に「スマホ見てないで走って来い」と言っても、言うことを聞いてくれなそうです。そのためにも、小さい時からスクリーンタイムを管理すること、可能な限り子供にスマートフォンタブレット端末を与えるのは避けた方が良いと著者は言っているのですが。